すっかり慣れた消毒液の匂いが、もう服にまで染みついている。



僕はその匂いを肺一杯に吸い込んで、涙を拭って外へ出た。






―Darkness in the inner part of a pupil ―

〝瞳の奥の闇〟





「どうするの、ミニ」



大丈夫?ともう一度僕の顔を覗き込む彼に、
僕は力なく微笑みかける。

病室までついてくると言って聞かない彼を宥めて、
僕は一人でドアを開けた。




「…キュヒョナ…」



無防備にもあいている窓から、暖かい春の風が忍び寄る。
優しく流れる風を受けて、キュヒョンの飴色の柔らかい髪が美しく揺れていた。



「久しぶり、キュヒョナ」



ベットの傍のパイプ椅子に腰かけて、
僕はキュヒョンの手を握った。

酷く冷たい温度が懐かしくて、自然にも涙が零れる。



「なかなか来れなくて、ごめんね」



返事は、ない。



キュヒョンは交通事故による植物状態のまま、もう二ヶ月になる。


あのころは、キュヒョンの顔を見るたびに泣きじゃくっていたソンミンだが、今はもう、
別の意味の涙が零れる。



「今日は、ね…」



春の風が頬を撫でる。

しっかりとキュヒョンの手を握ると、
ほんの少しだけ、暖かくなったような気がした。



待ってあげたかった。待っているつもりだった。

この綺麗で大好きだった手に、愛しい温もりが戻るまで。




「今日は、お別れを言いに来たんだ」



震えた声が、病室に反響する。

それが酷く虚しくて、僕はどうしようもなく俯いた。




「待ってあげられなくて、ごめんね…」



この温もりを愛していた。嘘偽りなく、本当に。



だからキュヒョンは悪くない。
僕が、僕の心が弱かったから。




春の風が、頬から零れる涙をすくった。





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